● 福音クラッシャー - 2 ●

「つーっ……で、そっちで話はついたのか香枝? 結局どうすることになったんだ」

「あぁああんな話鵜呑みにしないどくれよっ!? 何が悲しくて、こんな日にアンタなんかとあたしが……」

「ふむ? すまないが最初から話してくれ、お前に耳ごと潰されていたせいで話の流れがわからん」

「えっ、な、ならいいよっ、何にも気にしないどくれっっ!」

「なるほど、そう言われると余計に気になって仕方がない心理作用が働くな」

 武蔵の一言目でこの集合の意図を把握してしまった香枝と違い、軽尾は『ダブルDEデート』などと言われても内容の見当が未だについていないらしい。それはすなわち、香枝など眼中外もはなはだしいことを意味するのか。

「要するに軽尾、お前は香枝とデートしてればいいんだ。俺とミィーの邪魔したらその首締め上げるぞ、俺の艶やかな黒髪で」
「お前はどこの妖怪だ。……ふむ、香枝と、か……その発想は絶無だったが、この状況はそういうことなのか……」

 その選択肢に気付けないほど自分の存在が認識範囲外なのかと、香枝は複雑な気分になってくる。これでは独りで勝手に慌てた自分が馬鹿みたいではないか。

「まぁアレとよりはマシ、か。……そうと決まれば、ほれ、香枝」
「え……えっ?」

 ブツブツと独り言で納得した後、軽尾は低く右手を差し出してくる。少し不機嫌そうで、どこか目線を逸らす彼曰く。

「お前も手を出せ、握れよ」

「どこを!?」

「……お前は俺のどこを握る気なんだ?」

 その赤茶色の髪に負けず劣らず真っ赤になり錯乱する香枝は、「どどどどどこって、財布のヒモとか!?」「デート飛び越えてなんで唐突に姉女房宣言してんだ」だとか相も変わらずのやりとりをしつつ、おずおずと左手指を伸ばす。

「なにも……手まで握ることない、だろ……」

「何言ってるんだ、中途半端なことが一番嫌いなのはお前だろう?」

 香枝は普段から、何事も完璧にやり込まないと気が済まない。仕事上のパートナーである軽尾は、それを誰よりも知っていて、同時に誰より、そんな彼女の熱意と意地と真っ直ぐさを尊重している。
 だからこそ、香枝のプライドに反することはしないし、やらせない。

「しっかりきっちり徹底的完璧に、俺とデートしてみるか? 香枝」

 二人の指が触れ合うまで、あと少し。
 この電燈華やかな街では、皮肉めいたそんな言葉さえ。

「はんっ……やれるもんなら、やってみなよ」

 愛を囁く科白のように、届いた。




「うおおあおあおあおぉぉあああああミィイイイィィ!!」

 その温もりが繋がるかどうかの瞬間、そんなタイミングで轟いた絶叫に、二人同時でバカップルへ振り向いた。あの男の奇声にはもう慣れたつもりだが、これは流石に不意打ちに等しい。

「ミ、ィ……いま、何て……!?」

「え、えっとね、だからねっ、クリスマスプレゼントに何でも好きな物言って! ボク、むっくんの為なら何でもするよ!」

「ああ、あ、そんなミィー……なんでも、何でも……ミィーがなんでも……うをおぉおぉお!!」

 ひたすら興奮の叫びをあげてから、いきなり武蔵はお姫様抱っこで美奈を持ち上げ、そして疾風の勢いでスタートダッシュを切ったではないか。あまりに唐突な行動すぎて、軽尾達どころか美奈でさえきょとん顔で。

「ちょっ、安達!? アンタどこに――」

「早速俺の家に行くぞミイィィィィー!!」

「え、ちょ、えええぇぇ!? 美奈ちゃんに何する気だアンター!!」

 と言うより、デート計画は一体どこへ行ってしまったのか。
 先程までの空気は瞬く間に霧散し、「軽尾っ、美奈ちゃんが危ないよ!」「あぁ、追うぞ香枝!」と目の色を仕事モードに切り替えた二人はまさに阿吽の呼吸で駆け出す。

「あンのロン毛……っ、家まで拉致して美奈ちゃんに変なことするつもりじゃないだろうね!?」
「何としてでもアイツを止めるぞ! そんな羨ましいこと、させてたまるか!」
「揃いも揃ってサイテーだなアンタら!」

 普段なら小学生にも駆け足で負ける体力の持ち主であるくせに、愛しの彼女を抱き上げることで安達武蔵は時速二十キロに達することが出来る。ちなみにだが、一般人が自転車を全力で漕いでも追いつけないレベルである。
 水泳部エースの香枝でさえ全力疾走せざるを得ないくらいだ、文化部でインドア派の軽尾の脚がもつれかかったその時。

「あっ、大次郎やっと見つけたー!」

 軽尾の全身から、目に見える量で冷や汗が噴き出した。それはまさに、反射運動の速度で本能からの拒絶反応。
 雑踏の中からひょっこり出てきた美青年の顔は、軽尾を見つけるなり嬉しそうに横を並走しだす。

「なになにどうしたんだい? 瑠実ちゃんと青春を満喫してるの?」

「その台詞はまずあそこを爆走しているバカを見てからほざけ累志!」

 『名は体を表す』を忠実に再現する男、楽土高校の一等星こと明星みょうじょう累志るいし。やはり今日も白い歯を輝かせ流し目も爽やかに微笑んでみせる。軽尾の疾走にスピードを合わせてやる余裕まで見せて。

「前で走ってるのって……安達君かい? おぉスゴイね、俺も一度女の子を抱きかかえて街中駆け抜けるような羞恥プレイしてみたいねー」

「お前のサディスティック精神はこの際どうでもいいっ、アイツを捕まえろ!」

「いきなり何なんだい全く……今年も大次郎の家でクリスマスパーティーしようって約束しただろー?」

「だから今年も自分の家から逃げ出してきたんだよいい加減気付け! なんで毎年毎年野郎オンリーでイヴパーティー!?」

 毎年二十四日に押し掛けてくる幼馴染兼天敵と、そんな好青年の皮をかぶったナルシスト様を何の疑いもなく招き入れる家族と。結果、長男大次郎は毎年この日に寒空の下へ飛び出し失踪するのである。

「だって今日ばかりは女の子とも遊べないしさー……ほら、イヴなんか一緒に過ごすと勘違いしちゃう子多いでしょ? 遊びなのに本気と思い込まれても処理が面倒でさぁ」
「いっぺん死ね! 話はそれから聞いてやるっ」

 息切れが目立ち始めた軽尾の神経を逆撫でするように、累志の方はスキップ並みの足取りもいいところだ。道行く人々をバスケのステップで華麗にかわしていく様子はまさしくエース、正しく悪魔王。軽尾にとって。

「おおっ、瑠実! 瑠実じゃなか! こがぁな場所で奇遇じゃのぉ、運命の赤い鎖かのう!」

「そんなハードな運命があってたまるかっ! ……って、仁義!? アンタ何してんのさ――っていうか何でついてきてんのさ!?」

 人々の群れより頭一個分ほど巨大な体躯の男が、満面の笑みで香枝に手を振ってきた。否、振るだけでは飽き足らず追いかけてきた。ズカカカカッとけたたましく下駄を鳴らして。
 どうやら家の買い物途中だったらしく、ゴツい革ジャンとクリスマスバーゲンセールの可愛らしい紙袋がもはやツッこむ気もおきないくらい不似合いすぎる。彷徨ほうこう仁義じんぎはやっぱりこんな日も極悪面にサングラス、誰が呼んだか“楽土の狂獣”。本当に、誰がこの善人をそんな酔狂な名で呼び始めたのだろう。

「今日はスーパーで豚ひき肉が安くての! ウチのチビらにたーんと食わせてやると約束したんじゃ! それに瑠実も誘おう思うて今追っかけているんじゃがのう!」

「あ、あたしはそんな家族団らんにお邪魔出来ないって! おチビちゃん達とクリスマスパーティーしてなよアンタはっっ!」

「将来チビらの義姉になるんじゃけぇ、遠慮することはなか! それとウチには“きりすとます”っちゅう祭りは無いんじゃ、昨日なら天皇陛下の御生誕パーティーをしたんじゃがのぉ!」

 「毎年家族で皇居に出掛けて日の丸を振るんじゃ! 何故かワシだけ警備員に取り押さえられたがのうっ、かははは!」と至極楽しそうに天皇誕生日の思い出を語る仁義。彼がその容貌のせいで皇居警備員に捕まり連行される映像がありありと想像できて、何故だか目頭が熱くなってきた。

「それで、瑠実は何をしとるんじゃ? 軽尾に明星まで一緒とは、随分と激しい逢引じゃのう」

「ちち違っ、これは安達が勝手に…………ってそうだ安達! 安達が美奈ちゃんを家に連れ込もうとして大変なのさ! あの変質者、美奈ちゃんに何するかわかったもんじゃないよっ」

「かははっ、相変わらず仲睦まじい夫婦じゃのう! 存分に乳繰ちちくり合い寄り添うのが夫婦円満の秘訣じゃて、ワシは応援しちゃるぞぉ旦那! ……っちゅーことで、瑠実もワシの家に来んかー?」

「脳天に日の丸突き刺されたくなかったら安達を止めろグラサン!」

 仁義が抱えていた買い物袋を全て奪い取り、目線だけで「前を暴走しているバカをなんとかしろ」と指示してくる生徒会副会長。それに微塵も苛立たないどころか香枝の顔色を見つめて何故か嬉しそうにニヤついた仁義は、「応!」と言い放ち下駄のまま本気の速度を出し始める。


「累志っ、もうクリスマスだろうが正月だろうがパーティーしてやるっ、行ってこい!」

「美奈ちゃんに怪我させないでくれれば、安達はどうなっても構わないよ仁義!」

「オッケー大次郎、俺が手に出来ない女の子はいないからね」

「これも瑠実の頼みじゃ、おんしに恨みは無いが堪忍ぜよ旦那ァッ!!」

 一際甲高い音を鳴らし、仁義の下駄がアスファルトを蹴って跳躍。そしてその勢いを殺さぬまま、空中から武蔵の長髪後頭部を目掛け足から下駄を放つ。サッカー部エースも卒倒するであろう速度と精度で見事目標のつむじに命中、それを確認することなく仁義は着地し更に加速する。
 そして仁義の行動全てを予期していたかのように、かがんだ低姿勢で飛び出した累志は、ゆっくりと崩れ落ちてゆく武蔵を軽々と追い越す。一発で気絶させられた彼氏の腕から宙を舞っていく小柄な少女が地に落ちないよう、優しく抱きとめる為に。

 武蔵が灰色の地面と盛大な口づけを交わした頃には、男のつむじでワンバウンドし落下してきた下駄を片手でキャッチする番長と、その隣りで抱きかかえた美奈を早速口説き始めたアイドル様がいた。

「君、怪我は無いかい? 怖かったろう、俺が傍にいるからもう大丈夫だよ」
「ふぇっ? え!? あ、あの……」

「すまん、すまんの旦那ァ! ワシとしたことがまた手加減を間違ってしもうたっ!」
「み、ぃ……なんで、も……みいぃぃぃ……」

 軽尾と香枝が追いついた頃には、周囲は騒然とするわ累志が美奈を持ち帰ろうとしているわ武蔵がダイイングメッセージの如く地面に鼻血で『みぃー』と記しているわで、とりあえず同時に目眩を感じて溜息を零した。

「……軽尾、二人でどこか遠くへ行ってしまおうかね……」
「……いい考えだな香枝、俺は今、無性にお前と駆け落ちしたい。この現実から」

 そして全員の願いを叶えるべく、日の丸なびく仁義の家で豚ひき肉パーティーが催され、武蔵の望み通りバカップルの社交ダンスによって彼らの聖夜は更けていった。


――――END――――
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