● 福音クラッシャー - 1 ●

「ダブルDEデート、だッッ!!」

 青年がそう絶叫した一瞬後、彼は長髪をサラサラとなびかせ宙を舞っていた。無論、その血色の悪い顔ごと生徒会副会長の鉄拳アッパーを喰らったからに他ならない。
 無駄にスローモーションでロン毛を揺らめかせておきながら、アスファルトに落下した時は「べきゃっ」という絶対に脊髄が発してはいけない音を鳴らしていたが、直後に鼻血を噴き出しながら起きあがったので特に負傷は無いようだ。

「いっ、いきなり何すんだ香――」

「そのアホ面でもう一度言ってみな、そん時は直接、折る」

「どこを!?」

 とっさに近くにいた生徒会長の脚にしがみつき震える安達武蔵と、年頃の女性が決してやってはいけなさそうな怒髪天さながらの表情を浮かべる香枝瑠実を、軽尾はさも他人事のように見やっていた。

「あぁっ、お前が暴力を振るったせいで血っ、鼻血が出てるじゃないか! うあぁぁあ俺の今日の為の一張羅いっちょうらが汚れたらどうするっ!」

「どうせアンタ毎日美奈ちゃん見て鼻血放出してんじゃないかい!」

「俺の鼻血はミィーへの興奮だけのものだああぁぁ!!」

「伊部も心底災難だな」

 武蔵の言う“一張羅”とは、その普段見慣れない黒スーツを指しているらしい。つい先程まではシャンプーのコマーシャルに出てくる女優顔負けの黒髪も一本に結わえていたのだが、香枝の黄金の右腕アッパーであえなくほどけてしまっていた。


 いきなりクリスマスイヴである二十四日当日に呼び出され、イルミネーションとカップル賑わう繁華街を集合場所にされ、一体何の用があるのかと問えば、先程の一言だったわけで。何の説明も無しで集めた武蔵も武蔵だが、それで本当に集まってしまう彼らも彼らである。

「だってお前ら、《こんな日まで》暇だったからすぐ来れたんだろ?」

「なっ、そ、その部分を強調すんじゃないよっ! あたしにだってねぇ、受験勉強とか年賀状の準備があるんだよ!」
「とりあえずクリスマスイヴに胸を張ってやれることじゃないな、香枝」

 「明日までに出さないと年賀状が元旦に届かないんだよっ!?」「いつ届こうが関係ないだろう。どうせ俺はお前には返さんぞ、面倒臭い」などと相変わらずな生徒会トップ漫才が繰り広げられている内に、鼻血を拭き曲がったネクタイを直した武蔵が、まるで必然事項のように。

「そういうわけで、今日は俺達四人の『ダブルDEデート』だッ!」

 「何がどういうわけだああぁ!」と再び鉄拳アッパー炸裂で話がループしそうになるところを、横から香枝の拳を掴んだ軽尾の手が阻止する。

「少しは冷静になれ香枝。ところで武蔵、俺の相手になるチサトちゃんはどこだ?」

「誰だよチサト! アンタこそ目を覚ませ!」

「失敬な、チサトちゃんはポニーテールで瞳パッチリ、俺を慕う小学二年の女の子だぞ。俺の脳内彼女だ」

「思いっきり妄想の産物じゃないかい! お願いだよ目を覚ましとくれよ会長おおぉ!!」

 香枝は泣きながら軽尾の両肩を激しく揺するが、そのままグラングランと揺れる会長の顔は心底幸せそうに「ハッハッハ」と不気味な笑い声を繰り返すだけだった。

「俺達“四人”って言っただろ軽尾。俺と、お前と、香枝と、そしてこれから来るミィーで、四人」

 小学生に説明するように指を折りながら教える武蔵と、その指を直視する軽尾。
 何度もその折られた四つの指を確認し、集まったメンバーを見渡し、ゆっくりと溜息を落とし。

「お前の頼みだ、仕方あるまい……今日ばかりは伊部の彼氏になってやろうじゃないか」

「そんな選択肢があるかあぁ! ミィーは俺と手を繋いで歩くんだッ!」

「ハァ!? じゃあ俺はどうするんだ、エア彼女か!? 妄想癖の如く空気中に彼女がいるように振る舞えと言うのか!?」

「香枝がいるだろっ、お前の『優秀な右腕』とやらが!」

「俺の目にはそんなババアなど映らんわあああぁぁ!」

 鈍い、音。掛ける二。
 男達のこめかみは仲良くアスファルトに叩き付けられ、それぞれ顔を見合わせた体勢のまま横向きに倒された彼らの頬は彼女の冷たい靴底に踏み潰されているわけで。
 人間二人相手にどんな角度で飛び蹴りをかませばこんな仁王立ち着地になるのか男達の想像を遥かに上回るが。

「……二度と下卑た口がきけないようにそのあご、粉砕しようかねぇ?」

「「すみませんでした……!」」

 平等に香枝の体重を頬で支えている二人は、ムンクの叫び状態な顔を蒼白にさせながら謝った。心から謝った。なんだかもうとりあえず必死に謝った。

「とりあえず降りろ、落ち着きたまえよ香枝君っ? いつまでも婦女子が青少年の上に乗っているというのはいただけないと思うな俺はっっ」

 軽尾の好青年風弁舌も本性を知っている香枝の前では当然無力、しかも必殺カリスマイルは顔が半分潰されているこの状況で発揮できるわけがない。案の定、「あぁ?」とドスの利いた音を返されて余計に頬を踏み躙られる結果となった。
 軽尾から、バトンタッチで。

「香枝っ、そうだお前、スカートだろっ? 男二人が下って、この体勢はマズいだろっ!?」
 お約束と言えばこれ以上ないお約束な展開なのだが、彼女は武蔵のそんな言葉を鼻で嗤い飛ばす。

「はっ、銀河系内で“愛しの彼女”しか興味の対象が無い野郎と“十五歳以下の女子”しか眼中に無い野郎なんだよねぇ、アンタらはさぁ? 今更こんな《ババア》の《下着》なんか視界を掠りもしないよねえ?」

「もうマジですみませんごめんなさい申し訳御座いません許してください俺には心に決めたミィーという少女がぁぁ……!」
「おおお俺達にだって純情で健全な青少年の心が残っていないわけではなくてなっ、そのっ、あぁチクショウ仁義に小指切られる……!」

 全身を小刻みに震わせながら両手で必死に目を押さえる青少年二人組を、香枝はどす黒い笑みで見下ろす。この三人の(物理的)力関係がよくわかる画と言えよう。そしてあの彼の為に言えば、極めて善人である番長は断じて他人の小指を切り落としたりしない。怯えている会長は本気だが。


「遅れてごめんねむっく――――瑠実先輩ー!?」

 ふわふわフリルがあしらわれた純白の子供用ドレスを揺らし駆けてきた伊部美奈が、まずこの想像を遥かに絶した状況に悲鳴をあげる。もはや美奈の難しいことを考えられない思考回路云々以前に、一体どんな天才ならこの状況を一目で理解納得できると言うのだろう。

「あぁ、こんにちは美奈ちゃん。いきなりだけど、乗る?」

「どこに!?」

 他人に八つ当たりをしない、無関係の人間を巻き込まないことが信条である香枝は、不機嫌さなど欠片も感じさせない優しい微笑みで美奈に振り返り、自分のブーツの下で震える野郎共を指差して小首を傾げる。その問い掛けがいきなりにも程がある上に彼らを土足で踏み潰せるわけがなかったので、少女は涙目でとにかく必死に首を横に振った。

「あ、あのっ、ごめんなさい瑠実先輩っ、ボク、ボクがむっくんとイヴに遊びたいって言っちゃって、それでむっくんは瑠実先輩と軽尾先輩も呼んでくれてっ、ボク、今日をすごく楽しみにしてて……っ」

「ちょ、ちょいと美奈ちゃん、泣かないどくれよっ。美奈ちゃんは何も悪くなくてだね……えぇい安達! アンタちょっと首貸しな!」

「お前が俺の左頬から降りてくれたら喜んで通帳でも印鑑でも俺手製ミィーフィギュアでも何でも貸してやるわっ!」

「どれも要らんわ!!」

 最後にもう一発とばかり心おきなく体重をかけてから、足をどけてやる。顔左半分に靴底の跡を残し、起きあがってもまだ微妙に頬がへこんでいる武蔵は、「で、何だ?」と香枝に低く耳打ちを。

「アンタねぇ、あたしが言うのも何だけど、これ以上ないシチュエーションじゃないかい! なんで自分からわざわざ邪魔モンみたいなあたしと軽尾を呼ぶかねぇ!? 二人っきりでいつも通り勝手にイチャついてればいいだろっ!?」

「だっ、だってそのっ、ふふふた二人でデェェトだなんてそそそんなの俺にはとても……っ!」

 顔を紅潮させたり蒼白になったりと目まぐるしく肌の色を変化させながら、このバカップル片割れは呆れるほど今更なことを言い出す。何故デートはダメなくせに人前で愛を叫んだり抱き締め合ったり校内ところ構わず床でじゃれついた挙句そこで添い寝とかしやがるんだと香枝は問い詰めようとしたが、やはり「幼馴染だから」の一言で全て片付けられるのであろうと正確な返答も予測して、無駄な口論は省略する。

「……それで、二人っきりが恥ずかしくてあたしらを呼んだってわけかい?」
「ああ、これで恥ずかしさも半分こだ香枝! お前らも俺とミィーの後ろで思いっきり楽しんでいいぞ!」

 やっと話が通じたと満面の笑みで、もはやこの上ない『お前らはオマケ』宣言をする武蔵。こんな脳髄お花畑な男に利用されるという屈辱より香枝にとって更に苛立つことは、一番初めの台詞からただ一つ。

「だぁかぁらぁ……それでなんであたしの相手が軽尾になるんだって訊いてんだよ……!」

「え、だってお前らいつも一緒できっとただならぬ仲だと――――いいい痛だだだっ、頬をつねるにゃっ、そこふぁおまえがふゅんだトコ……!」

 未だ香枝の靴底の形にへこんだままの左頬を、憎悪の限りにつねってやる。骨と皮だけで歩いているような男は、ねじられる皮に半泣きしながら。

「な、なんだよそこまで照れることないだろこの思春期さんめっ! お前らの恋のキューピッドを俺のデートのオマケでやってやろうとだなっ、これは俺からのクリスマスプレゼントであってだな!?」

「おいロン毛、そのほざくしか能の無い口貸せや、全部折る」

「歯を!?」

 怒髪天、再び。
 もうこのままつねり倒してやろうとさえ思ったが、自分の左脇で丸みを帯びた両頬を手で押さえ涙目になっている少女に気付き、香枝の沸点に到達していたボルテージは急激に下降する。相手が先輩の香枝であるためにやめてほしいと言い出すことも出来ず、彼氏の痛みをただ共感することしか出来なかった美奈を見て。

「るみせんぱ……っ、ボクを、ボクをつねってくださいっ、むっくんはただボクのために……っ」

「え、あ、違、違うんだよ美奈ちゃん! あたしは美奈ちゃんとコイツが二人っきりで楽しめばいいのにって、」

「たとえ俺の顔面筋が死滅してもミィーの柔肌には指一本触れさせないぞ香枝ええぇぇ!!」

「あぁもう騒ぐな面倒臭いっ、会長も黙ってないで何とか言っとくれよ!?」

 武蔵の頬を離し、ついに軽尾に助けを求めて振り向くと、そこには誰も居ない。
 当然だ。

「……もう忘れ去られてるソイツが可哀想で仕方ないんだが香枝、お前、左足」
「あ」

 あれからずっと、香枝の靴裏とアスファルトに挟まれて冷たくなっていたのだから。
 「うわっ、ごめ、ごめん軽尾! きれいさっぱりアンタのこと忘れてたっ!」と焦って抱え起こしてやると、「ふっ、構わんさ、先程近くを通りかかった幼女の生脚がいつにないアングルで拝めたからな」などと青白い肌で勝ち誇った笑みを浮かべたので、もう一度アスファルトに後頭部から落としてやった。
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