番外短編

  忍者VS警備員(あるいは五百年後の乱痴気騒ぎ)  

「実は、ある集団から命を狙われているんだ」

 秋風とぽかぽか陽気に包まれた、住宅街の公園にて。アタッシュケースを抱きしめた小太りの中年男は、大まじめにそう言った。

 唯一それを聞く相手はといえば、目つきも態度も悪いチンピラ風の若者である。「ふーん」と適当に返しつつ、男から受け取った名刺――都内大学の日本史教授とある――をひらひらもてあそんでいた。
 チンピラはひどく気だるげに、遼平りょうへい、とだけ名乗る。

「正確には、私が先日発掘した貴重なふみが、彼らの目的だ。中身を公表されたくないらしい。だが真実を闇に葬ってはいけない! どうかこの歴史的大発見と、私の身を守ってほしい!」

 ケースを開けて見せようとしてくる教授に、遼平は「ブツに興味はねぇ」と一蹴した。

「それより敵の話をしろよ。わざわざ俺らに依頼するってことは、表沙汰にできねぇ連中なんだろ」

 切れ長の目が、愉しげに歪む。『裏社会でも名の知れた、身辺警護のプロ』という触れ込みだが、ぼさぼさの寝癖にだらしない服装と、ケンカに飢えたヤンキーにしか見えない。
 脂汗を浮かべた教授は周囲をうかがってから、近くのベンチに腰を下ろした。

「ああ、私を狙う者たちなのだが――」
『ピ』
「ぴ?」

 微かな電子音に反応して、遼平はとっさに依頼主の腕を引く。瞬間、ベンチの下から閃光が溢れ、端微塵ぱみじんに吹き飛んだではないか。
 衝撃で尻もちをついてしまった二人は、ぱらぱらと降ってくるベンチの残骸を、呆然と見上げてから。

「何を敵に回したんだよ!?」
「おおお驚いて腰を抜かさないでほしいのだが、相手は忍者なのだ!」
「腰抜かしてんのはそっちだろうが!」

 言って、遼平は足腰の立たなくなった中年を脇に抱えると、すぐさまその場から駆け出す。
 事前に罠が仕掛けられていたということは、今も監視されている可能性が高い。とにかく公園から離れ、大通りへ繋がるルートを選ぶ。

「き、君は信じてくれるのかい? 忍者に狙われている、なんて、警察も耳を貸してくれなくて」
「まぁ、うちの会社にも一人いるしな」
 あとサムライもスナイパーもいる、と続けそうになって、さすがに警備会社のメンツに聞こえないのでやめておいた。

「この文はだね、越後国えちごのくにに仕えた忍び衆の、拠点跡で見つけたんだ。地面深くに隠すように、未開封の状態で。送り主は、当時敵対していたはずの甲斐かい忍者頭領、三代目乱蔵らんぞう。なんと敵の跡取りに向けた、秘密のラブレターだったのだよ!」

 聞いてもいないのに早口で説明され、遼平はとりあえず「らぶれたー」とだけ復唱する。

「このとき乱蔵は六十過ぎ、宛先の嫡男はまだ十四才。つまり家も年齢も性別も超えた、日本史に残る大恋愛ということだ!」
「読まずに埋めるってことは、嫌がられてたんじゃね?」
「これを全国ニュースに、いや教科書に載せるまでは死んでも死にきれん!」
「やめてやれよ……」

 ちらと振り返ると、追っ手の影がいくつか見えた。今時の忍者は黒スーツがデフォルトらしい。昔ながらの装束姿で出てこないだけマシだが、
「電線の上を走ってくるとかアリかよ!?」
「忍法壁走りもできるのかな!?」
「わくわくすんなオッサン!」

 向こうが上空にいる限り、路地で逃げ切るのは難しい。白昼の街中だからといって、遠慮してくれるやからでもないようだ。

「忍者のくせに、真っ昼間から襲ってくんじゃねえ――っつのッ!」

 遼平は地を駆ける勢いそのまま、下半身を捻り、すれ違いざまの電柱に回し蹴りを見舞った。続けて、反対側の電柱にも一撃。一発ずつで根元から砕かれた柱が、交差するように道路へ崩れていく。
 電線を足場にしていた追っ手はまっ逆さまに落ち、ついでに辺り一帯が停電に陥ったが、ガッツポーズをとる遼平には気にする風もない。

「うわまだ来る、来てるよ!」

 被害規模の割に、電柱は大した足止めにならず、むしろあちらの本気に火をつけてしまったらしい。彼らは住宅の屋根に飛び移ると、遼平を追い越し、向かう先に大量の撒菱まきびしを敷いた。

 「やっと忍者らしいモンが出てきたな」びっしりとアスファルトを覆う鉄棘に、そう毒づく。お約束だが、なるほど効果的だ。
 逃げ道を封じられ、振り返る。分身の術かと思うほど、無個性な黒スーツたちがこちらへ殺気を放っていた。

「ンだよ、たかが紙きれだろ? よっぽどヤベーことでも書かれてんのか」
「紙きれとは失敬な。徹頭徹尾、女子中学生のような切ない恋心ポエムだった!」

 どうでもいいところで噛みついてきた雇い主を一発小突いてやろうかと思ったが、意外なことに、忍者軍団の反応の方が速かった。

「だから、だ! 先祖の書いた恋文がお茶の間に流され、地元の資料館に展示される様を想像できるか!? なんか、こう……居たたまれないだろうが!」
「おぬしらだって、卒業文集で同じことされたくなかろう!」
「忍者も義務教育出てんだな」

 あいにく、小学校中退の遼平には共感しづらいたとえである。

「これが最後の警告だ。大人しく渡せば、命だけは見逃す」

「ハッ、誰に向かって言ってんだよ」
 口角だけでわらい、遼平は意にも介さずとばかりに敵へ背を見せた。

 一つ、す、と息を吸う。
 左脚を空へ突き上げたら、ただ地面へ振り下ろす。

 何の工夫もない、単純な暴力という鉄槌で、かかとから道路が真っ二つに裂けた。水道管やらガス管まで破裂したせいで、むき出しの土から噴き上がる水。大蛇の如く走る亀裂が、ばらまかれた障害など軽く吹き飛ばし、彼のためだけの道を拓く。
 そこへ臆することなく飛び込んだ遼平の姿は、あっという間に敵の視界から掻き消えた。

「あの、街のインフラが全滅したんだけど……」
「せーとーぼーえい、ってやつだろ?」
「ここまでで防衛要素あった?」
 たぶん正当性も無かった。

 既に停電でざわついていた住宅街に、野次馬の数が増える。これで先程のように堂々と追ってはこられないだろうが、隠れ場所を見つけない限り、鬼ごっこで消耗するのはこちらだ。
 「待ってくれ」大通りに出る寸前の十字路で、依頼人の声に足を止めた。標識には『通学路』とある。

「彼らもなりふり構わなくなっている、人の多いところへ出ない方がいい。……この手紙のためなら私の命など惜しくない、が、君や無関係の人々にまで被害が及ぶのは、やはり間違っている」

 やっと遼平の腕から降ろされた教授は、そのままぺたりと座り込んでしまった。かたくなに掴んでいた手を離し、地面に置いたアタッシュケースを見つめる。「私が、間違っていたのかな」

「オッサンが正しかろうが悪人だろうが、関係ねーし興味もねぇよ。俺は、金をくれるヤツを護るだけだ」
「でも――」

 煙草たばこに火をつけようとしていた遼平が、目を見開いて右へ振り向いた。猛スピードで、しかし無音のまま、まっすぐ大型トラックが迫ってくる。
 依頼人を突き飛ばすので精一杯だった遼平の体は、一瞬でトラックのフロントに飲まれ、ブロック塀ごと押し潰された。

「あ、あ……っ」

 地面へ投げ出された教授が、原型を留めていない運転席へと駆け寄る。平然と降りてきたのはやはり黒スーツの青年で、狼狽ろうばいする教授には見向きもせず、転がったアタッシュケースを拾い上げた。

「手間をかけさせおって。このような一族の恥、明るみにされてなるものか」

 「は、恥だと!?」教授は膝を震えさせながら飛びかかり、相手の足にしがみつく。

「それは一人の男が、生涯を賭した愛のかたちだぞ! 同じ人間同士で線を引き、争いの絶えなかった人類史が、今日こんにちまで続いてこられた理由がわかるか!? そのあらゆる境界を、愛は越えてきたからだ! 君たちの先人はそれを後世へ示した、立派な男なんだぞッ!」

 青年から返る言葉は無い。ひどく冷淡な眼差しと、懐から取り出された拳銃が、彼の回答だった。
 「そこはせめて手裏剣が良かったなぁ……」眉間に銃口を押し付けられ、反射的にきつく両目を閉じる。

 小爆発のような音と共に、世界が揺れた。
 だがそれは、教授の頭蓋ずがいを貫いたものではなく。

 恐る恐る、目蓋を上げる。先程までこちらを酷薄に見下ろしていた忍者の顔に、貼り付くは畏怖の色。彼が釘付けになっている方向へ、教授も振り返る。

 ひしゃげたトラックのフロントガラスと、塀の間から、赤い手が生えていた。残骸を押しのけ、更にもう一本、腕が出てくる。
 ただの鉄塊と化した車両を押し返し、ブロック塀を自ら砕いて、現れ出でるは鬼の相貌そうぼう
 死体同然の血を流しながら、生気に満ちた眼がぎょろりとこちらを向く。

「どうしてくれんだテメェ……もう古着を買う金も無ぇのによぉ……」
「な、化け物、か!?」

「あぁ? 見りゃわかんだろ――お仕事熱心な警備員だゴラァ!!」

 遼平は外れかけていたトラックの前輪を、無造作に引き抜くと、忍者めがけて片腕でぶん投げた。さほど狙いが正確でなかったそれは、青年の頬をかすり、遙か後方の自販機に突き刺さる。
 まだ忍者の足にしがみついていた教授が――いまやすがっているようにも見えるが――「ぼぼぼ暴力はやめよう! ね!?」と何故か自分が雇った警備員に懇願している。

 忍者は一度、深い息を落とすと、ケースを静かに地面へ置いた。震える中年男を引き剥がして、二人に背を向ける。

「……おぬしの執念の勝ちだ、歴史家。だが我ら先祖のためにも、あまり大々的にしてくれるなよ」
「おお、おぉ! わかってくれてありがとう、この手紙は大切に――」

『ピ』

「……ぴ?」

 手を伸ばしたアタッシュケースの裏に、小型の箱が貼り付けられていた。明滅するランプが赤に切り替わり、本日二度目の轟音が爆ぜる。
 寸でのところで遼平がケースを蹴り飛ばしていなければ、依頼人も消し炭になっていただろう。

「ああぁあ手紙がぁー!」
「ちっ」

 「おいアイツ舌打ちしやがったぞ」「うわーん! さすが忍者汚い!」既に電線の上にいた黒スーツへ、遼平も仕返しに石を投げるが、それが届く前に影ごと消えてしまった。任務を果たした彼らが、もう姿を見せることはないのだろう。

 道路に膝をつき、泣く泣くケースの破片を拾う依頼人の背に、遼平はかける言葉が見つからない。加えて、家で腹を空かせて待っている弟へ、食費が稼げなかった言い訳も。

「ごめんよ、いつまで悲しんでいても仕方ない。彼らの、命がけで先祖の誇りを守ろうとする気持ちもまた、愛だからねぇ」
「オッサン……」
「それに恋文、まだあるし」
「――は?」

 教授は携帯端末を取り出すと、カメラのアルバムを見せてくる。
 深い山中を背景に、大量の古びた和紙と、ダブルピースする満面の笑みを。

「彼、亡くなるまで手紙を送り続けたみたいで。あの山を掘ればまた出ると思うし」
「もう一々埋めずに、燃やせばよかったのにな……」

 案外まんざらでもなかったのか――愛の真相はやぶの中である。


――――END――――

※この短編は、Text-Revolutions Extra2のWebアンソロジー企画「手紙」に投稿したものです。
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