● Girl Meets Boy - Boy's SIDE ●

「――だからね、僕は思うんだよ。よく『目に見えないものこそ大事だ』って言うけど、実際問題その“大事”という感覚すら個人の価値観によるものだから非常に不安定だというのに、」

「ほう、『ばにらしぇいく』とは何じゃ! 面白いのうッ、甘ったるいバリウムみたいな物じゃろか? 嬢ちゃん、ワシはこれのデカいのが飲んでみたいのう!」

「要するにわざわざそんな台詞を叫ばなきゃならない程、ヒトは『目に見えないもの』の存在を信じたいし、かつそれを他の人間にも認識させ共感してほしいんだよね。それこそが価値観の共有であり社会の秩序の根幹を成すものなんだろうけど、」

「忘れるとこじゃった、クーポン券持ってきちょるぞ! かははっ、ちゃんと広告から切り取ってきたけぇ、三十円割引じゃの!」

「けれど僕らは一体どれだけの価値観を共有できていると言うんだろうね? 他人との価値観の相異を恐れ、しかし一方で『個性を尊重されたい』とも願う。どこぞのSFアニメじゃないけど、人類全ての思考・価値観を統合出来たとしたらそれはさ――」

「で、ラツエルはどれにするんじゃー?」

「あぁうん、ミルクのSで」


◆  ◆  ◆


 小さな少年のやっぱり小さな溜息は、隣席で物凄い勢いのままシェイクをストロー吸引する大男のズゾゾゾゾゾオォという轟音で掻き消される。
 ファーストフード店の窓際カウンター席に座った二人を正面から迎えてくれたのは、橙の日暮れ色に染まった学園前通り。二階席なので何にも遮られることのない夕陽が少し眩しい、今日ばかりは隣に座る彼のサングラスが羨ましいぐらいだ。

「……仁義じんぎ、バニラシェイクおいしい?」
「応!」
「それは良かった」

 半ば呆れたような遠い目でラツェルが外を見ているのは、背後のボックス席の客の視線が痛いほど突き刺さっているからである。もっとも彼が感じているのはあくまで“流れ弾”だ、客のほとんどはカウンター席に収まりきらない隣席の巨漢に視線を注いでいる。肩掛け程度のブレザーに真っ黒なサングラス、今どき素足に下駄装備……そんな凶悪犯面の学生が上機嫌でバニラシェイクを啜っていれば、まぁ、そうなるだろう。ラツェルだって赤の他人だったら凝視している。

「しかしこの椅子はちと狭いのう、せめてソファ席なら少しは楽じゃったんに」
「やめてよ仁義、僕そんな見つめ合ったら素直にお喋りできない。君の顔怖すぎて」

 それにボックス席だと君と目を合わせるだけでも肩凝るんだよね、とぼやいてしまってからその台詞があまりに自虐的で余計落ち込んできた。ただでさえ十八歳男子の平均身長にも届いていないのに、こんなヒトとして規格外な友人と並べばどうしたってその凸凹っぷりが強調されてしまう。
 半ば爪先立ち状態で床に掠っている革靴をブラブラさせ少しずつストローに口を付けながら、「僕だってさぁ、」と切り出した少年の白金色した前髪が揺れた。

「これでも北欧人の血が半分は入ってるんだよ? それなのに成長期は絶賛大遅刻中だし声だって全然野太くならない。この前なんか博物館で中学生料金にされかけたよ、男のプライドを賭けて断固として大人料金払ったんだけどね」

「かははっ、勿体ないことしおるのぅ! 成長期が遅れちょるんじゃのうて、もう終わっちょるんじゃなか?」

「やめてほしいんだよね、僕自身も薄々そんな気がしてるんだからさ……。まったく、何食べたらそんな巨大化できるわけ?」

 「特別何食ったっちゅーこともないがのぅ……そうじゃ寝る子は育つ言うし、ワシが寝かせちゃろうか!」「ごめんそれ永眠の予感しかしないんだよね」そんな会話を交わしながら、ラツェルは片手で巨大な手製辞典の【彷徨 仁義】の欄に『食事制限無し。睡眠時間との関連は不明』とだけ無機質な字を走り書く。濃い深緑の瞳で自分の文字を一瞥してから、やっぱり溜息。

「……今日、付き合ってもらって良かったの? なんか相変わらず舎弟さん達と楽しそうだったんだけど」
「なんじゃ、おんしが気にすることはなかぁ! ワシらは単なるやんちゃな帰宅部じゃからのー」
「アレそういう認識の集まりだったの?」

 むしろ放課後から元気になる皆さんだろう、あれは。彼らの頂点に君臨する仁義の人柄を知っているからこそラツェルはあの領域に入っていけるが、一般生徒が体育館裏に足を踏み入れれば、そこは地獄絵図以外の何物でもない光景である。

「たまにゃラツエルと一杯茶ァ飲むのも悪くはなか、かはは朝まで飲み明かすとするかのう!」

「何杯シェイク飲む気なの仁義、オールしたら確実に腹壊すよ。……っていうか何度も言ってるけど僕はラ“ツェ”ル。いい加減発音慣れてほしいんだよね」

 「上下の歯に軽く舌を挟んで、力を抜いてさ、」とやっとラツェルが目を合わせる為に仁義を見上げ、自分の口を指差しながら説明する。だが「ぬぅ、小難しいことは嫌いぜよ」などと眉間にシワを寄せられてしまったので、今回も早々に諦めることにした。

「ふむ……顔色が白いぞラツエル、なんじゃ妃美子ひみこと痴話喧嘩でもしおったか」
「なにそれ、新手の国際ジョーク? 大体僕があのヒミコ様と(一方的)口論なんて日常茶飯事でしょ、あれが僕らの挨拶代わりなんだよね」

 「まぁ、香枝への求婚かセクハラが挨拶代わりな仁義には負けるけど」と小さく付け足すと、それが聞こえたのか聞こえていないのか「かははっ、まだまだおんしらには愛が足りんのう、愛が!」だとか笑い飛ばされた。微妙なニュアンスにしておいたのに彼にはすっかりお見通しらしい。……いや、もしかしてこちらの返答など初めから聞いていないのやも。

「……まったくだよ。本当に痴話も痴話さ、戯れ半分のくだらないことなんだよね」

「応」

「彼女は“恋愛”を知り過ぎていて、僕は知らな過ぎている。しかもそんな視覚出来ないものへの感覚を共有することは非常に難しい。互いに共感できていない“繋がり”を維持するのは困難じゃないだろうか」

「応」

「そもそも価値観が違い過ぎるんだよね、僕達はさ。まぁ取り巻く環境を考えれば必然なんだけど……どうして僕なんかを『一応の恋人』に選んだんだか。僕もあの時なんで頷いちゃったんだかなぁ……」

「応」

「僕は名義上だけ彼女の恋人だ。故に価値観の話を持ち出すのは根本から間違っている、何故なら僕達が価値観を共有する必要は一切無いんだから。愛とか恋とか価値観とか、目に見えないものの究明なんて結局僕如きじゃ正答には辿り着けなくて――――うん、なんかごめん仁義」

「……応」

 一気に吐き出して気が楽になったのか、苦笑の中に確かに微笑を混ぜたラツェルは仁義へ振り返る。少年の白金は夕陽を反射し、男の黒髪は光を染み込ます。どこか心地よい沈黙の後、一息置いてから仁義は腕組みを解いて口を開いた。

「おんしが小難しい言葉ばかり並べる時は、心に余裕が無い時じゃ。おんしの心に余裕が無い時は、大抵が妃美子を想うとる時じゃ。おんしが妃美子を想うとる時が、その“正答”ではないんかのう」

 「……そしてワシは、おんしの小難しい話が嫌いぜよ」最後にそれだけ静かに吐いて、また黙り込む。漆黒のサングラスで夕陽を見やる男の遠い目が、横顔から窺えた。
 少年も男がああいった喋り方を嫌うのが分かっていたのに話してしまった辺り、結果的には八つ当たりだったのかもしれない。けれどラツェルは、仁義の“苦手”と“嫌い”の違いも分かっていたから。

「まったく、焦れったいのうおんしらは! おいラツエル!」
「もう、だから僕はラツェルなんだよ。理解はしてるくせに仁義ったら、」

「今はおんしの答えに辿り着けなくともええ。目に見えんモノなど理屈で捏ね繰り回したところでどうにもならん、けんど《妃美子》は目に見えちょるじゃろが! ワシらなんぞ目の前のモノを愛するだけで精一杯じゃ、解ったらとっとと行かんかド突き回すぞ!!」

 突然の怒鳴り声に周囲が注目すれば、その中心はこれ以上なく脅し文句が似合う前科持ちみたいな巨漢だったのだから店内がざわつく。しかしただ一人だけ、そんな番長に微かな笑みを浮かべていた。
 満面の笑みとは程遠い、けれど普段の彼からは想像もつかないほど嬉しそうな。

「――応!」

 眼下の学園前通りを携帯片手に駆けていく一人の少年を、大小二つの紙コップと役目を終えたストローを口に銜える楽しそうな男が見送っていた。
Web拍手   Index
inserted by FC2 system