依頼3-1 『青天霹靂』

  5,白羽  

 コンビニで買ってきた遅めの昼食を片手に、しんは数日ぶりの事務所に顔を出した。

「あれ、おかえりー。依頼後は直帰するんじゃなかったっけ?」

 接待用ソファに座っていた希紗きさが、ブラウンのポニーテールを揺らして振り返る。Tシャツにジャージ姿であぐらをかき、机には雑誌とスナック菓子を広げ、自宅ばりにくつろいでいるが、一応ここの紅一点である。
 上司が帰ってきても平然と携帯ゲーム機で遊んでいるが、一応部下である。

 一方、自分のデスクについたまま、挨拶どころか真の存在を完全無視している美丈夫も、やっぱり部下だ。
 長い脚を組み、手元の本にのみ注がれる涼やかな眼差し。眼鏡の奥で瞬きしているのかどうかも怪しいそれは、時折本気で、無機物を疑う精巧さだ。淡い緑の髪といい、造形が人間離れしているせいなのか、中身も常識人とは程遠い。……目の前でけたたましく鳴り響いている会社の電話を、一切無視できる辺りとか。

 真だって、電話番も満足にできない穀潰し二人のために帰ってきたわけではない。が、そこを突き詰めると胃壁がもたないため、彼は早々に考えるのをやめた。

「お電話ありがとうございます、ロスキーパー中野区支部代表、霧辺きりべです! ……へ? いや、うちではぶら下がり健康器は扱ってないですね、はい……」

 間違い電話の相手にぺこぺこと頭を下げ、いつの間にか世間話に巻き込まれること五分。結局正しい連絡先まで調べ教えた真は、丁重に受話器を置く。
 ……顔を上げると、澪斗れいとの心底蔑んだ表情しか待っていないのがつらい。人として、割と正しいことはしたはずだ。裏社会としての威厳は地に落ちているけれど。

 寝不足の頭と、空っぽの胃袋と、リーダーたる素質の無いメンタルが、真の体内で不協和音を奏でだす。とりあえずコンビニのサンドイッチを水で流し込みながら、自分の机につき、端末の電源を入れた。

 本社に提出するための報告書ファイルを開き、ここ二日間の仕事内容を打ち込んでいく。希紗の言う通り、本当なら今日は依頼先から自宅へ、そのまま帰るつもりだったのだ。――仕事先で部下が、依頼主の飼い犬と取っ組み合いのケンカをしたりしなければ。
 しかもその当人は悪びれる様子も無く、オートバイにまたがりさっさと帰ってしまったわけで。奴の報告書もとい反省文を今、泣く泣く部長が代筆しているのである。

「アカンやっぱ頭回らん……純也ァ、悪いけど熱いお茶を」
「今日は純くんお休みよー、あとお湯沸すんだったら私にもお茶~」
「俺は紅茶で良い」
「あァ、せやった……」

 立ちくらみに襲われながら、最近は純也に任せきりの急須を探す。部下達に顎で使われるのにも慣れてしまい、もう怒りどころか違和感すら覚えなくなってきた。

 真にこの面倒事を押しつけ直帰した"反省文量産機"こと馬鹿の名を、蒼波遼平という。そんな男を労うため、わざわざ今日一日休みをとっている少年の健気さ無垢さを想うと涙が出そうだ。奴は、トイプードルに歯を剥き出して威嚇するような二十一歳なのに。

「遼平、今頃は純くんの手料理にがっついてるんだろーなー。腹立つわー」
「ホンマ、何であの遼平なんかに懐いてしもたんやろなァ。純――」

「じゅんやあ!!」

 声量だけで事務所のドアを吹っ飛ばしかねない登場に、部長は思わず湯飲みを落とした。右足に陶器と熱湯の直撃を喰らい、悲鳴も出せない真の胸倉を、長い腕が掴み上げる。

 第一声の時点で乱入者が誰かは明白だったが、それでも真は驚いた。今ちょうど話題にあがっていた馬鹿――もとい遼平に、こんな目と鼻の先で睨まれている意味が分からない。

「うわビックリした、遼平って純くんの名前一つで呼び出し可能になったの?」
「とうとう鳴き声までジュンヤになったのか貴様」

「あぁ!? 何の話だテメーら……つか純也だ、アイツここに居るかッ?」

 言って、遼平は再び眼前の部長に食らいつく。が、襟を締め上げられてぷるぷるしている真の口からは、返答よりも霊魂の方が先に出そうだった。

「なに、純くん家に居ないの? 買い物とかじゃなくて?」
「……洗濯物が干したまんまで、昨日から帰った跡がねえ。お前等ンとこに泊まったりしてねぇんだな?」

「ううん、昨日は午後三時には事務所閉めてみんな帰ったわよ。『どうせ今日も依頼なんか来ないし暑いし解散~』って」
「勝手に営業時間早めんといて!?」
「純也にも変わった様子は見られなかったが。……そういえば、炎在の病院に寄ってから買い物だと、言っていたな」

 部長と遼平の二人組で仕事に出ていたこの数日間、事務所は希紗達で切り盛りすることになっていた。そう指示した部長すらも、端から期待はしていなかったが。

「さっき獅子彦にも聞いた。確かに昨日、夕方前に会いに来て、その後は知らねぇってよ。ったく、道草食ってるにしても遅すぎんだろ……」

 「はは、純也が道草を一晩食うたら荒川の土手もハゲそ――痛い痛い前髪むしらんといてぇ!」遼平の剣幕を少しでも和らげようとしたつもりが、逆効果だったらしい。据わった目で人の頭頂部を鷲掴みにしてくる様は、ほぼほぼチンピラだ。

 確かに、これが普通の子供であれば事件だろう。家族が血相を変えて警察に向かう状況に違いない。
 しかし純也は、世間一般で言う子供とは大きく異なる。無知でもなければ無力でもなく、裏社会の凶悪犯を前にしても冷静な判断ができる、れっきとしたプロの一員なのだ。

「くだらん。貴様はいつまで純也を幼子扱いするつもりだ? 書き置きも無いのなら、すぐ帰ってくるだろう」
「そーそー、純くんの方がよっぽど大人なんだから。出て行くにしたって自分の意志でしょ、三行半とか?」

「出て行くって、どこにだよ! アイツに帰る場所なんざ、どこにも無ぇだろうがッ」

 突然蹴りつけられたデスクが悲鳴をあげ、紙細工のようにへこむ。冗談半分だった希紗は思わず肩を跳ね上げてから、怪訝に眉をひそめた。
 遼平自身も、反射的な言葉だったのだろう。非難の視線を向けられるより先に、事務所内に響いた己の声に、歯を食いしばり、拳を降ろした。

「……うん、まァ、ワイも一緒に探すからそんな心配せんと、な! その様子やと昼もまだ食べてへんのやろ? 空腹は人から余裕を奪うしなァ」

 言って、真はいつも通り軽く苦笑うと、備蓄棚からカップ麺を探し始める。「ドス辛担々麺しかないけど……ってかコレ事務所の経費で買うたの誰!?」犯人探しに振り返った瞬間、ソファに引っ込むポニーテールが見えた気がした。

「とっくに宗兵衛そうべえ達と探してんだ、お前の助けなんか要らねぇ。この都内で、あいつらが見つけられねえ場所なんか……」

 そこで遼平の語調に焦りが再燃するのを感じ、真はなるほど、と得心が行く。
 普段ならここまで目の色を変えない遼平が、過剰に純也を案じる理由。ヒトには立ち入れない隙間、聞こえない音を易々と手に入れる蝙蝠コウモリの大群が、"時間をかけても見つけられない"。
 蝙蝠達への信頼が厚いからこそ、その事実が、刻一刻と遼平の不安感を煽っているに違いなかった。

 それでもやっぱり、過保護傾向にあると真は思うが。実の家族でもないのにこうして血相を変えてくれる辺りに、天涯孤独の純也が救われ、懐いているのも事実なのだ。

 らしくもない沈黙が充満する事務所で、微かなノック音のようなものに皆が気付いた。
 まっさきに動いたのは遼平だが、駆け寄ったのは入り口とは反対の窓際。地上三階に位置する窓ガラスに張り付いていたのは、小さな蝙蝠だった。

 遼平が窓を開けるや否や、蝙蝠はぴょこんと男の肩に飛び乗る。ぼさぼさした髪の内側に潜り込むようにして、チィチィと耳元で何かを訴えた。
 当然、遼平以外の人間には、蝙蝠の言葉は分からない。だが目に見えて曇る横顔だけで、誰もに察しはついた。

『……いや、こんな昼間から悪いな。少し涼んでいくか? ……そうか。ああ、すまねぇ。宗兵衛にもよろしく伝えてくれ』

 頬をすり寄せてくる蝙蝠を、遼平は決して邪険には扱わず、止まり木代わりに手の甲を貸す。しばらく目を細め、人には聞き取れない音で二言三言を交わすと、宗兵衛からの使いをそっと空へ返した。
 晴天にそぐわない黒い影が、入道雲の麓に消えていくまで見送って。そこでようやく遼平が、ヒトの音域で吐息を漏らしたその刹那。


 遼平が立っていた窓際から、一直線の衝撃が事務所を貫いた。

 デスク上の小物一切を吹き飛ばした風圧が、半歩遅れて破砕音をつれてくる。
 ロケット弾でも撃ち込まれたかと被害場所に視線を走らせた部長が、この世の終わりじみた悲鳴をあげる。
 窓の正面に位置したデスクの仕事用端末、そのディスプレイを、"矢じり"が貫いているではないか。

「ああァあァァ報告書がー!」
「え、なに今の狙撃!? 白羽の矢って狙撃にカテゴライズされる!?」
「いいから黙って伏せんか!」

 希紗が思わず立ち上がろうとするので、そのポニーテールごと捕まえて澪斗が引きずり倒す。息を殺した男の下で、顔面を床にすり付けられた彼女の、もがもがと言葉にならない抗議だけが聞こえてくる。

 全員が窓の外に警戒する中、遼平だけが、目を見開いてその場に突っ立っていた。呆気にとられたように遠くを眺め、「……ああ」とやけに間の抜けた声を漏らす。

「……ンな身構える必要はねぇよ、"次"は来ねぇだろうしな。今のは――」

 気怠げに振り返った遼平の頬には、一筋の赤が走っていた。先ほど撃ち込まれた矢が掠ったのだろうが、本人は首筋まで伝う血を拭おうともしない。
 迷いのない足取りで部長のデスクに向かい、煙を上げている端末に突き立てられた一矢を、無造作に引き抜く。そしてやはり、さもそれが当然であるかのように、矢柄に結ばれていた白い紙をほどいた。

「――単なる宣戦布告てがみ、だろうからな」

 苦々しくそう断言する遼平には、その矢文の送り主が既に判明しているようだった。

「いまどき矢文って、何世紀から時かけて来てんのよ!?」
「馬鹿な。この周辺には、そう易々と狙い撃てるポイントは無い。しかもそんな、ただの木片でだと?」

「心当たりがある。つーか、わざわざこんな芸当でぶち込んでくる奴を、他に知らねぇ」

 幾重にも折られた紙を広げていた遼平の手が、途中で止まる。ほんの僅かな逡巡の後、開きかけの手紙を部長に押しつけた。
 真はまだ目尻に涙を浮かべたまま、突然渡された用紙に戸惑う。

「……お前ら宛てらしい」

 三つ折りまで開かれたところで、『警備会社LoseKeeper中野区支部 御中』と丁寧な筆文字が現れたのだ。
 意を決し、真が手紙の全文を開く。いつの間にか希紗と澪斗も、両側からのぞき込んでいる。
 少し黄ばんだ白に一面、流れるような墨が綴られていた。

「えっと……『拝啓。炎暑の候、貴社ますますご盛栄のこととお慶び申し上げ――」

「御託は要らん。概要を十文字以内で簡潔に述べろ」
「ワイが!?」

 睨み降ろしてくる氷点下の眼差しは、拒否どころか失敗すら許しそうにない。紛うことなき上司であるはずの真が、ぶつくさと不満まじりに手紙の内容を目で追う。
 送り主に気付き、咄嗟に息を呑む。だがそこから先のメッセージは、思いの外シンプルなものだった。

「――遼平を渋谷へ引き渡せ」

 それが暗に示す、目的や事情の複雑さを差し引けば、の話だが。

「え、待ってよ、シブヤってことは……」
「あァ、《スカイ》やね……。しかも場所と日時まで指定されとるわ。富ヶ谷旧交差点に、今日の夕方六時やって」
「今日ぉ!? そんなの、何一つ呑めるわけないじゃない!」

 「挑戦状にしたって、もう少し考えてから出しなさいよね」と希紗は半ば呆れを浮かべる。
 もともと表社会で生まれ育った希紗とて、遼平とスカイの因縁を知らないわけではない。

 都内最大の無法地帯、旧渋谷区を支配するチーム《スカイ》。ある人は彼らを「帰る場所を持たない浮浪者の寄せ集め」と言い、またある人は「恐ろしく統率のとれた一個師団」と評した。
 スラム・シブヤで発足してから僅か五年で勢力を広げ、ついには都内の路地裏でスカイの息がかかっていない場所は無い、とまで言わしめた覇者。
 そんな彼らには、チームを立ち上げたリーダーの下に、三人の幹部がいたらしい。それぞれが裏社会のプロをも一蹴する力を持ち、こと中核を担っていた白鷹しらたかつばさの名は、長らく『都内最強の番人』として轟いていた。

 ――――彼が、当時同じ幹部であった遼平によって、殺害されるその日までは。

 主戦力を失ったスカイは、度重なる内乱や襲撃を受け、かろうじて残ったメンバーで、傷だらけの渋谷に立てこもる。
 以来、蒼波遼平の名は『シブヤを半壊させた裏切り者』として、真偽も定かでないまま、裏表双方の社会でまことしやかに囁かれ続けたのだ。


 実際、三年間もその"生ける都市伝説"と同僚だったわけだが、伝え聞いた噂以上の情報は彼女も知らない。真と澪斗もそうだろうし、純也にいたっては事件のことすら知っているかどうか怪しかった。

 弱体化により縄張りシブヤから離れられなくなったとはいえ、彼らが今も遼平の首を血眼になって求めていることは、想像に難しくない。
 故に、この矢文が示す目的はわかる。動機もわかる。だが、思惑だけがわからない。
 どうして今日なのか。なぜ中野区支部に宛てたのか。こちらが素直に応じる、という保証も無いのに。

「……おい。何か落ちたぞ」

 文書に釘付けになっていた希紗たちの一歩後ろで、澪斗が声をあげる。部長が手紙を広げた際、黒い小石のようなものが床に転がっていったのだ。

「これ……記録チップ? うわ半世紀は前のやつじゃないっ、プレミアものー!」
「どこにテンション上げてんねん……。中身の読み取りは出来そうか?」

 目を輝かせた希紗が、白手袋をはめ、お宝を扱うようにしてそれを拾い上げた。
 素人目にもわかる年季ものである上に、既に小さな亀裂がいくつも走っている。データの読み取りどころか、機器に挿入しようとしただけで、今にも粉々になりそうな劣化具合だ。

 しかしそこは、齢十九にしてあらゆるセキュリティシステムを懐柔するメカニック。希紗は一切の迷いなく、自身のノート型端末に無数のケーブルと機器を繋げていく。

「ウイルス性なし、ロックなし。保存内容は、動画ファイルが一つだけみたい。……よっしコンバート完了、さすが天才わたし!」

 鼻高々になる希紗とは裏腹に、再生が始まったはずの画面は暗いままだった。幾度かノイズに阻まれながら、徐々にピントが合う。

 ぼんやりと浮かび上がってきたのは、窓のない、コンクリートが打ちっ放しの寒々しい部屋。
 その壁に固定された金具、そこから延びる荒縄で、一人の少年がはりつけにされていた。

「……っ!?」
 短い悲鳴をあげそうになった希紗が、口を覆う。澪斗ですら僅かに目を見開き、言葉を失う。

 昨日までここで他愛なく談笑していた純也が、着ていた私服もそのままに、惨い姿でそこにいた。
 脚を投げ座り込んでいるように見えるのは、その両腕を頭上で拘束されているせいで、おそらく本人に意識は無い。指先から足の爪まで血と泥で汚れ、裂かれた衣服の下には、無数の痣と傷が窺えた。

 ぐったりとうなだれた顔に生気は無く、僅かに開かれた碧眼も光を映していなかった。ただ、はだけた鎖骨の微かな上下と、胸元を伝う血だけが、少年にかろうじて息があることを教えてくれる。

「なに、これ……ちょっと、何で!」

 希紗の怒りを鼻で笑うように、映像はたったそれだけで切れた。凄惨な仕打ちを受けた少年以外、誰も映さず、言葉一つ伝えずに。

「……。それで、こうなるわけか」

 感情を殺しきれていない声で、真は手元の文に視線を戻す。
 挑戦状などではない。これは、れっきとした"脅迫状"だ。

『――どうか蒼波遼平の身柄を、私どもにお引き渡し頂きたく――』

 手紙には、純也のことは一切触れられていない。交渉の体を装っておきながら、相手は少年を生きて返す保証など"示そうともしない"のだ。

「フン、おぞましい程の怨念だな。これだけ執拗になぶっておきながら、首の皮一枚で殺さぬ手法か」
「せやけど、なんか……希紗、今の動画をもう一度、」

 再生できないか、と言い掛けた部長の横で、派手な強打音と共にデスクがへこんだ。誰もが驚き振り返ると、遼平の拳が、読み取り機器ごと記録チップを粉々に砕いてしまっているではないか。
 思わず非難の声をあげようとした希紗は、彼の顔色を見て喉を詰まらせる。振り下ろした腕はわなわなと震えているのに、男の相貌からは全ての血の気が引いていた。

「遼平……純くんならきっと大丈夫よ、だからっ」

「……わぁってる。そうじゃなきゃ、"俺との物々交換"にならねぇからな。アイツの考えそうなことだ」

 男を落ち着かせるつもりが、返ってきた言葉は妙に静かだった。何かを確信した目つきは、寒気がする程に暗い。
 顎に手を当て押し黙っていた澪斗は、遼平の表情を一瞥すると、こう切り出した。

「蒼波、一つ問う。スカイのトップが、あの逢魔ヶ院おうまがいんの嫡子だという噂は、事実か」

「ああ。確かに本人は、そう名乗ってたぜ」

「そうか、それで……!」
「なになに、そのオーマなんとかって、誰?」

 部長は冷や汗の中にも合点がいった顔になるが、希紗はまだ目尻を拭いながら疑問符を浮かべている。「貴様はいい加減、工学以外も学ばんか」と睨み下ろしつつ、澪斗は続ける。

「逢魔組、という名前くらいは知っているな?」

「あー、なんかおっきい暴力団でしょ? 都内では一番くらいの」

「まァ明治から続く、ステレオタイプの極道なんやけども。ただ異色なんが、本家と呼ばれる家系しか、組長を継げへん。その選ばれし一族っちゅーのが、"逢魔ヶ院"なんよ」

 けれど恐怖の本質はそこではない、と部長は声を陰らせる。
 かつては公家の出であったらしい逢魔ヶ院が、表側の歴史から名を消された理由。それは彼らが代々練り上げ、研鑽し、呪いのように受け継いできた尋問術にある。
 決して殺さず、生かさず、ただ人を痛めつけることだけを何百年と研究し続けたその狂気こそ、逢魔ヶ院の本質なのだと。

「――故に、ついた異名は"拷問華族"。そんな家柄の人間が、スラムで暮らしているなどとは、眉唾物の話だと思っていたが……」

 動画データは壊れてしまったが、あの光景は希紗の瞼にも鮮烈に焼き付いている。手荒く傷つけておきながら、人体の急所だけは器用に外す冷静さ。復讐でありながら感情的でなく、嗜虐的でありながら効率を優先する。
 正しく狂った人間にしか、成し得ない技。その意味が分かって、ようやく希紗の背にも悪寒が走る。

「相手は一流の拷問師だ。少なくとも今日の刻限までは、人質を死なせる下手は打つまい」

「そうだとしても全然安心できないって! 大体こんな取り引き、急に今日の夕方って言われたって……っ」

「せやな……。ただワイらの居場所も相手に割れとるし、この取引に応じひんかった場合、次はどう動いてくるかも分からん。とにかくウチの社員が誘拐された以上、まずは本社に連絡して――」


「聞いてくれ」

 低く、冷え冷えと、そして柄でもない懇願の響きさえ含みながら、遼平はうなだれていた顔を上げた。
 左手には、自身が叩き壊した脅迫状の残骸。それを爪が食い込む程に握り締め、男は目の前の三人を見据える。

「お前らに一つ、"依頼"をしたい」
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